
1948年。原爆投下から3年後の広島の夏。
爆心地に近い焼け跡の家に、図書館勤めの美津江はひとりで住んでいる。家で待っているのは父親だ。しかし父は3年前の原爆で亡くなっている。
ここに現われた父親の幽霊が、実は美津江自身の心が生み出した幻影であることは、美津江本人も自覚しているから、父がひょっこり現れても少しも慌てない。
父娘ふたりきりの家の中で、美津江は父の存在をごく自然に受け入れる。やがてふたりの会話は、美津江が図書館で出会った木下という青年の話題になる。木下は美津江に好意を持ち、美津江も彼に対して好意を持っている。父は美津江の気持ちを察して木下青年との交際を勧める。美津江はその話題になった途端にさっと顔を曇らせて厳しい表情を見せる。
原爆投下で親しい人たちをすべて失ったあと、死んでいった人たちに申し訳なくて、生き残った自分の身の上が後ろめたくて、一切の幸せと無縁に生きていこうと思い詰めている美津江。
「うちは幸せになってはいけんのじゃ」
と美津江は言う。
しかし23歳の乙女心は、ひとりの青年に出会うことで揺れ動く。
「わたしも幸せになりたい」
「本当は幸せになりたいんだ!」
でもそれを声に出せず、彼女はそのささやかな願いを胸の中で押しつぶす。その結果生み出されたのが、娘の幸せを切実に願い、恋の後押しをしようとする、亡き父の姿をかりたもう一人の美津江である。・・・・
木下青年が収集している原爆資料を美津江が預かることになり、恋の成就も間近かと思った父に、美津江は家を出ることを告げる。
「うちが生きのこったんが不自然なんじゃ」
美津江の心の奥で幸せをさけている本当の訳は、家の下敷きになっている父を見捨てて逃げざるを得なかった父への懺悔である事を父は知らされる。
「うち、おとったんと死なにゃならんかったんじゃ」と美津江心の最深部に秘めていたものが吐露される。
それでも、竹造のことばで、これから自分が生きていくための意味を認識させられ、美津江は生きることに、前向きに向かっていく姿勢を取り戻す。
井上ひさし氏の最高傑作の1つ。
被爆3年目の広島でくりひろげられる父親と娘の笑いと涙の感動作。
東日本大震災後の私達により身近に感じられるでしょう。笑いと涙のジェットコースターを乗っているような80分!
※画像は、梅治の会さんのサイトよりお借りしました